【東京都】檜原(西多摩郡檜原村)


東京都の最西端に位置し、島嶼部を除けば都内で唯一の村にあたる、西多摩郡檜原村。 

人口約2千人、面積は105平方㎞で村域のほとんどが関東山地内という山村で、多摩川支流秋川上流周辺に集落が点在する。  

因みに秋川は最上流では南北に枝分かれしていて、2本の川が合流し多摩川を経て、東京湾に注がれる。 

平地が少なく大半が山地で占められるため、村民の家業は畑作や林業、養蚕、炭焼きなどが中心だ。

都心からは中央線・青梅線・五日市線を乗り継ぎ終着駅の武蔵五日市まで電車、さらにバスに乗り換えて向かう事になるが、最短でも2時間強は要するだろう。  

今回は南秋川に並行して伸びる檜原街道沿いの集落を廻った。

いずれも隣接する山梨県から伝わる兜造り民家が集まり、養蚕農業を営んできたことが伺える。

(写真は数馬集落)


【東京都】上川乗集落(西多摩郡檜原村)202010 

「上川乗」バス停に降り立つと、のっけから街道沿いに兜造りの民家が点在し、何れもその規模は大きいのに驚かされる。  

上川乗交差点は街道の追分にあたり、交通の要衝だったことからも街道集落的な要素を強く感じさせる。 

街道沿いには、立派な長屋門と塀に囲まれた大型の兜造り民家と蔵が並ぶのが見える。 

集落内では最大級の屋敷で、主屋は入母屋造で二階建てであるが、屋根内部は恐らく多層で、大々的に養蚕が行われていたと思われる。

上川乗の町並み(4枚とも)


【東京都】人里集落(西多摩郡檜原村)202010 

上川乗から西にある「人里」は"へんぼり"と読むのだが、その由来はいまもって特定できていない。

地元の方から話を聞いたところ、起源は朝鮮半島からの渡来人が住み着いてできた集落という一説があるという。  

この地域には他に、「事貫(ことづら)」「笛吹(うずしき)」といった難読地名もある。  

人里地区でも兜造りを始めとする養蚕農家が群として残る箇所が、人里停留所の隣「西川橋」停留所近くで見られる。 

この人里に限らず、檜原村内には石垣の上に民家が建てられているのをよく目にする。

人里の町並み(4枚とも)


【東京都】数馬集落(西多摩郡檜原村)202010 

東京都の最西端に位置し、島嶼部を除けば都内で唯一の村にあたる、西多摩郡檜原村。 

その最奥の集落が「数馬」で、鉄道の終着駅である武蔵五日市からは西へ25㎞、檜原村の市街地からも18㎞程離れている。  

地名の由来は、南北朝時代に南朝方の武士であこの地に落ち伸び開拓をした武士、中村数馬の名前にちなんでいる。 

山梨県に最も隣接していることもあって、やはり兜造りの民家が点在し、もともとは養蚕農家として生計を立てていたことが伺える。  

現在は温泉や「都民の森」があり、旅館や民宿が点在する行楽地になっている。  

民宿として使われている兜造りが多いが、こちらは妻壁に二段の庇を付けたような形で、「二段兜」と呼ばれる。 

 一見すると茅葺きのように見えるが、実は皮葺きだという。

数馬の町並み(4枚とも)


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郷愁の風景

(旧★KENTAの写真創庫★) 東京や近郊(ごくまれに遠方)を中心に、 散歩がてらデジカメ📷で下手糞な写真を撮り続けています。 人様にお見せするというよりは、忘備録的なアルバムとなっています。 【主な対象物】 古い民家や街並み 遊里跡(遊廓・赤線・カフェー街・花街) レトロ建築 その他心象風景