【東京都】谷中(台東区)


所謂「谷根千」の一角「谷中」は、東の上野台地、西の本郷台地に挟まれた文字通り"谷の中"の町である。

江戸時代は寛永寺の寺領として多くの寺院が建てられ、門前町を形成。

明治7(1874)年に天王寺や寛永寺の寺領の一部が谷中霊園として造営されるが、現在も70を超える寺院が連なる。

戦災を免れたおかげで伝統的な出桁造りを基調とする木造家屋が多く、戦前の古い佇まいを色濃く残している。


【東京都】谷中「観音寺築地塀」(台東区)201910 

谷中寺町を象徴するのが観音寺横の37メートルに及ぶ築地塀で、江戸末期に築かれたものである(国登録有形文化財)。


【東京都】谷中「ヒマラヤ杉」(台東区)201503 

谷中のランドマークとして知られる三叉路の巨大なヒマラヤ杉は樹齢90年超。 

その横には「みかどパン」という古い佇まいのパン屋さん(現在は駄菓子屋さん)が建つ。 

右に見えるのが延壽寺で、ここが寺町であることを認識させてくれる。


【東京都】谷中「みかどパン店」(台東区)201910

ヒマラヤ杉の傍らに建つ小さいパン屋さんだが、現在はパンの営業をやめているらしく、駄菓子屋さんとして続いているそうだ。

旧町名「谷中上三崎南町」と書かれた古い住居表示版が残っているが、これは昭和41年の住居表示変更まで存在していた町名。

現在「谷中」は1丁目から7丁目まであるが、当時は9つの町名に分かれていた。

向こうに見えるのが延壽寺。

再開発による伐採計画があったらしく、谷中の象徴といえる風景がいつまで残るか、今後の動向が気になる。


【東京都】谷中「初音通り」(台東区)201910 

日暮里駅から夕焼けだんだんに向かう途中、左手の初音通りに折れると、寺院が多く集まっており、その合間を縫うように商店が目に付く。 

寺に関係する畳や石、生花を商う店の他に、錻力や銅壺など工芸にかかわる店も見かける。 

銅板葺きの戸袋を持つ「吉川錻力店」と隣の格子を持つ「銅菊」はいずれも金属製品を加工する老舗だった。

同じ初音通りにある「間間間」は大正8(1919)年築の町家を利用したオープンスペース。

元々は文房具や雑貨を扱う店だった。


【東京都】谷中「初音小路」(台東区)201910

日暮里駅から夕焼けだんだんに向かう途中に初音通りに入ると、木製アーケードが架かった脇道が伸びる。

戦後まもなく日暮里や谷中界隈には屋台が集まる闇市が存在していたが、行政による屋台整理令を受けて、昭和24年に17~18軒の店が集まってできた。

現在の初音小路は飲食店がほとんどだったが、成立当初は食料品や日用品などを扱うマーケットだった。

飲食店ばかりの中に一軒残る「都せんべい」は昭和27年創業で、往時のマーケットの生き残りである。

谷中には煎餅屋さんが何軒か見られるが、仏事が不意に行われることが多い寺院にとって、日持ちがよい煎餅はありがたいものである。


【東京都】谷中「谷中霊園付近」(台東区)201910 

寺院が多く、広大な霊園を擁する谷中には、それらに関連する商店を多く目にする。 

畳や石材、植木、生花、線香、酒といった法事や墓参にかかわりを持つ商売は、この地だからこそ成り立っている。 

谷中霊園の入口付近には、墓石墓参に付き物の生花や線香を商う「墓地茶屋」が数軒残っており、軒下には墓参者にとって不可欠な手桶、箒、縁台が揃っている。 

手前の黒壁の茶屋は明治期の建築。

【東京都】谷中「谷中霊園付近」(台東区)201910 

明治建築の「墓地茶屋」。


【東京都】谷中「すぺーす小倉屋ギャラリー」(台東区)201910 

初音通り沿いにある「すぺーす小倉屋ギャラリー」、もとは享保年間から営業してきた質屋「小倉屋」。 

かつての店舗は文政3年頃に建てられたものといわれ、質屋を象徴する三階建ての土蔵は大正5年築。 

現在はギャラリースペースとして使われ、内部も見ることができる。 

国登録有形文化財。


【東京都】谷中「朝倉彫塑館」(台東区)201910 

初音通り沿いにある「朝倉彫塑館」は彫刻家・朝倉文夫のアトリエ兼自宅。

昭和10年築で、アトリエは当時珍しいコンクリート打ち放しに屋上庭園をもつ。 

近くに東京美術学校(現・東京芸術大学)が開校し、そこで学んだり教壇に立った芸術家の多くが谷中に居を構えるようになったが、その一人が朝倉だ。

【東京都】谷中「平櫛田中邸」(台東区)201910

朝倉文夫と共に東京美術学校出で、谷中に居を構えた平櫛田中。

現在も谷中霊園のほとりに自宅兼アトリエが現存している(アトリエは大正8年、自宅は同11年築)。

伝統的な日本家屋は震災や戦災にも耐え抜き、現在もNPOを中心に保存活用されている。


【東京都】谷中「カヤバ珈琲」(台東区)201910 

上野桜木交差点の角に建つ出桁造りの町家は大正期の建築で、ミルクホールから甘味屋を経て、昭和13年に「カヤバ珈琲」として創業。 

平成18年に一度は閉店するも、NPO法人が借り受ける形で平成20年に営業再開する。 

日中は行列もできる程の人気店だが、平日朝ならスムーズに入れる。 名代は卵サンド。


【東京都】谷中「三崎通り付近の路地」(台東区)201910 

谷中界隈は路地が多く、戦災に遭っていないために戦前の古い町家や長屋を色濃く残している。 

三崎通りから南に入った路地には四軒長屋や和洋折衷住宅、地蔵や防火用水など、地域住民の生活を垣間見ることができる。 

NHK朝ドラのロケ地になった場所でもある。

路地を際立たせている四軒長屋。

それぞれにかつて武士階級以外には認められていない切端破風付きの玄関が設けられ、庶民の憧れだったことが伺わせる。

板塀で前庭と路地を区別しながらも、下部はオープンで風通しがいい。

四軒長屋の向かいに建つ和洋折衷住宅。

元々あった和館の玄関脇に洋館を設け、応接間を設けるという形式が大正終わりから昭和初期にかけて流行した。


【東京都】谷中「旧伊勢五本店」(台東区)201910

巨大な梁を持つ出桁造りで、杉玉を下げていることからかつて酒屋だったとわかる。

三崎通りで宝永3年から営業を続けてきたが、現在は千駄木に移り現在も酒屋として営業中。

現在、旧店舗は自転車屋さんとして利用されている。


【東京都】谷中「三崎通り」(台東区)201910

谷中霊園近くに六地蔵と並んで銅板張りの庇を持った花屋さんがある。

前述の「伊勢五本店」やこちらの「花定」に象徴されるように、仏事に付き物の酒や生花を商う店が古くから残っている。


【東京都】谷中「夕焼けだんだん」(台東区)201910

日暮里駅西口を出てそのまま進むと谷中銀座商店街が続くが、その手前に傾斜15度、高低差4メートルある階段道がある。

現在の石段は平成2年に改装されたもので、「夕焼けだんだん」はその時に命名されたものである。

夕焼けの絶景スポットになっているが、同時に高低差の多い谷中の土地の特徴を象徴しているともいえる。







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郷愁の風景

(旧★KENTAの写真創庫★) 東京や近郊(ごくまれに遠方)を中心に、 散歩がてらデジカメ📷で下手糞な写真を撮り続けています。 人様にお見せするというよりは、忘備録的なアルバムとなっています。 【主な対象物】 古い民家や街並み 遊里跡(遊廓・赤線・カフェー街・花街) レトロ建築 その他心象風景