【東京都】神保町(千代田区)
神保町は江戸城の北側に位置し武家屋敷街だったが、町名は越中の戦国大名の流れをくむ旗本・神保家の屋敷があったことが由来。
戦前の東京市時代は「神田区」に属し、戦後に旧「麹町区」と合併し千代田区となった際に「神田神保町」となる。
駿河台から神保町、一ツ橋にかけての地域には大学が集結し、明治から昭和初期にかけて古本屋や出版社が並ぶようになる。
東京大空襲などで被害に見舞われた都心部にあって、一帯は辛くも戦災を免れている。
高層マンションやビルが増え続ける中で、関東大震災直後に建てられた銅板貼りやモルタル塗りの看板建築が残っていて、新旧入り混じった街並みを見せている。
【東京都】神保町「矢口書店・古賀書店」(千代田区)202002
神保町の靖国通りに面した古書店「矢口書店」は映画・演劇関係を扱う書店で、大正7年創業。
建物は昭和3年に建てられたモルタル塗りのモダンな看板建築で、震災復興建築である。
同じ建物に入っている「古賀書店」も大正時代創業の音楽関係専門の書店。
建物一階側面一杯に本棚が並び、品定めしている光景は神保町の風物詩である。
【東京都】神保町「大久保書店」(千代田区)202002
靖国通り沿いに建つ大久保書店は昭和5年築だが、元々は震災復興の一環として建てられた十一軒長屋の一部。
かつては同じような形の店舗が通り沿いに並んでいたが、唯一現存しているのがこの店舗だ。
【東京都】神保町(千代田区)201310
近年まで現存していた十一軒長屋の一部。
同じようなファサードの間口が狭い店舗がこうして並んでいた。
【東京都】神保町(千代田区)202002
神保町の靖国通りとすずらん通りに挟まれた狭い路地には、戦後から続く老舗喫茶店が残っており、時が止まったかのような雰囲気を漂わせる。
赤煉瓦建物の「ミロンガ・ヌオーバ」、ウィンナーコーヒーを日本で最初に提供したとされる「ラドリア」、写真には載っていないが昭和30年創業の「さぼうる」が車が通れない狭い路地に現役で営業している。
ミロンガ・ヌオーバ
ラドリオ
さぼうる
【東京都】神保町「東方学会」(千代田区)202002
神保町は学生街や古書街だけでなく、チャイナタウンの側面を持つ。
明治末期に清国からの留学生が来日し、彼らを受け入れる大学や寄宿舎、彼らが集う中華料理店も増え、中国人コミュニティが出来上がった。
そうした中国人留学生の支援や寄宿のための施設として大正15年に建てられたのが「東方学会(戦前は日華学会)」だ。
【東京都】神保町「カトリック神田教会」(千代田区)202002
禁教令が解除されて間もなくの明治7年に創設されたカトリック神田教会。
現在の建物は関東大震災で倒壊後に再建されたもので、昭和3年竣工(国登録有形文化財)。
マックス・ヒンデルの設計で、かまぼこ型の連続したロンバルディア帯をもったロマネスク様式の教会である。
聖堂の内部は見学可能で、窓のステンドグラスが鮮やかに映える。
【東京都】神田駿河台「男坂・女坂」(千代田区)202002
かつて神田川は大雨の度に洪水を起こす暴れ川で、その浸食によってできた天然の崖地が続いている。
その崖地に2つの階段坂、「男坂」(写真右)と「女坂」(同左)が存在する。
関東大震災後の復興事業で造られ、「男坂」は直線で73段、一方の「女坂」は2か所の踊り場で屈折する82段。
0コメント