【千葉県】佐倉(佐倉市)


佐倉は慶長15(1610)年に土井利勝が佐倉城を築き、城下を整備させたことから城下町としての歴史が始まる。

佐倉城は北に印旛沼、西と南に鹿島川や高崎川と2つの河川に囲まれ、馬の背状に伸びる台地の先端に築かれ、崖下に「惣堀」と呼ばれる水堀と土塁を張り巡らせていた。

現在でも基本的な街割りや道筋は変わらず、所々に城下町の古い街並みを残している。

武家街は大手門の南に広がり、特に武家屋敷が何軒か残る宮小路町の「鏑木小路」が往時の雰囲気を色濃く残している。

一方、武家街の外に町人街が広がり、成田街道沿いには点々ながらも伝統的な出桁造りの町家を残し、街道町という側面も見せている。

(写真は宮小路町「鏑木小路」の武家屋敷通り)


【千葉県】武家屋敷「旧但馬家住宅」(佐倉市宮小路町)202010 

「鏑木小路」の武家屋敷は、通りに面して門を構え、土塁と生け垣を築いている。 

庭を介して屋敷を構え、奥には菜園をつくり、敷地の境界には木が植えられ、背後の斜面に竹林が広がっている。  

現存かつ公開されている3軒の武家屋敷が「旧河原家」「旧但馬家」「旧武居家」だが、うち「旧但馬家」は建築された文政~天保年間からずっと現在地に残っているものだ(他の二軒は別の場所からの移築)。 

 門塀から見える茅葺き屋根も当時のままである。  

初めに入ったのは誠心流槍術師範だった井口家で、後に岡田氏を経て、明治8年に但馬家が入った。 

武家屋敷「旧河原家住宅」内部(手前が座敷)

武家屋敷「旧武居家住宅」茅葺き屋根はトタンで保護されている。国登録有形文化財。


【千葉県】ひよどり坂(佐倉市宮小路町)202010

武家屋敷が並ぶ「鏑木小路」はやがて、「ひよどり坂」と呼ばれる当時からほとんど変わっていないと言われる竹林を下る坂道につながり、坂の先には佐倉城址が控える。

時代劇のロケとしても使われそうな風景で、今にもから笠をかぶり刀を差した侍とすれ違えそうな雰囲気だ。


【千葉県】旧間之町「旧三谷家住宅」(佐倉市弥勒町)202010 

町人街は佐倉城下の武家街の外側に広がり、特に成田街道沿いに東から「横町」「二番町」「仲町」「肴町」「間之町」と続いていた。  

新町交差点から東へ伸びている成田街道は台地上の平地に東西に伸びていて、所々に切妻平入、出桁造りの町家が点在し、重厚な屋根を持っているが、連続した街並みではなく散在という感じである。

順天堂記念館へ向かう途中の通りは、通称"蘭学通り"と呼ばれている。  

これは、幕末時の藩主だった堀田正睦が「蘭壁」と呼ばれた西洋通で、佐倉順天堂を開くなど蘭学を奨励していた名残りだという(余談ながら、京成線の車窓から見えるオランダの風車は佐倉市制40周年に建てられたもので、その歴史を記念したものと思われる)。

その蘭学通りの東端には切妻平入・出桁造りの主屋と妻切の蔵が並んでいるが、案内板には「旧三谷家住宅」と書かれている。 

いずれも明治17年ごろに建てられたとあり、伝統的な関東風の町家の姿をとどめている。

成田街道沿いの町並み


応援よろしくお願いします

郷愁の風景

(旧★KENTAの写真創庫★) 東京や近郊(ごくまれに遠方)を中心に、 散歩がてらデジカメ📷で下手糞な写真を撮り続けています。 人様にお見せするというよりは、忘備録的なアルバムとなっています。 【主な対象物】 古い民家や街並み 遊里跡(遊廓・赤線・カフェー街・花街) レトロ建築 その他心象風景