【福島県】七日町(会津若松市)
会津若松は中世に芦名氏が館を築き、東黒川城と称したことから始まった城下町。
戦国時代には芦名氏から伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝と城主が目まぐるしく変わったが、江戸時代に保科正之が入城後はその系統の親藩松平家が治め、その庇護のもとで醸造・漆器など商業が繁栄。
城下町は鶴ヶ城を囲む形で武家地が設けられ、その郭外に町人地が置かれた。
戊辰戦争で新政府の攻撃を受け焦土化した城下町の復興は、その商人たちの力で為され、旧市街地の七日町を中心に蔵造りに洋風建築が混在する街並みに。
戦災に遭わなかったので、戦前の街並みを色濃く残す。
七日町通りの札ノ辻近くでは特に大正~昭和初期の洋風建築が多い。
【福島県】野口英世青春通り「福西本店」(会津若松市)201910
会津若松は若いころの野口英世が過ごした地で、野口英世青春通りには書生として学んだという旧「會陽病院」が残っている。
並びの「福西本店」は黒漆喰塗りの重厚な店蔵の両脇に袖蔵が並び、往時の富の大きさを物語っている。
【福島県】野口英世青春通り「旧會陽病院」ほか(会津若松市)201910
福西本店の並びに建つ旧「會陽病院」(現在は「會津壱番館」)。
野口英世が医者として大成するきっかけとなった。
【福島県】大町四つ角「四つ角大正館」(会津若松市)201910
七日町通りと野口英世青春通りが交差する大町札の辻に建つ洋風建築。
大正10年築の旧郡山商業銀行若松支店で、当時としては先進的だったアールデコ調の鉄筋コンクリート建て。
【福島県】大町一ノ町「鈴木屋利兵衛商店」(会津若松市)201910
大町に残る漆器商で、重厚な海鼠壁と黒漆喰塗の見世蔵は江戸後期に建てられたもので、戊辰戦争では焼失を免れた。
袖の煉瓦造りの防火壁は近代以降に増築されたものだろう、より重厚感を与える。
【福島県】七日町通り「白木屋漆器店」ほか(会津若松市)201910
旧市街地の大町札の辻から七日町駅前にかけての通りがかつてのメインストリートで、蔵や重厚な商家、洋風建築が並ぶ。
七日町通りのランドマークと言える「白木屋漆器店」(大正3年築)はルネサンス様式を取り入れた石張りの木造洋風建築。
その並びの「滝谷建設工業会津若松店(旧郡山橋本銀行若松支店)」(昭和2年築)は岡田信一郎設計のイオニア式列柱が並ぶ重厚な銀行建築だ。
【福島県】七日町通り「第二塚原呉服店」ほか(会津若松市)201910
「第二福原呉服店」は昭和2年築の看板建築で、上部に”Department Store”と書かれた装飾が見られ、当時は百貨店としての営業だったと思われる。
【福島県】七日町通り「塚原呉服店」(会津若松市)201910
はす向かいにはその1号店が残っていて、現在はスポーツ用品店が入っている。
建物は大正15年築の鉄筋コンクリート造りで、呉服店ながら洋風のファサードが目に引く。
【福島県】七日町通り「池田種苗店」ほか(会津若松市)201910
戊辰戦争からの復興の過程で、七日町通りは従来の蔵造りだけでなく西洋風の近代建築や看板建築が混在しながら残している。
池田種苗店の可愛らしい蕪のレリーフを象った看板建築の奥には土蔵が残っていて、通りに対して短冊形に敷地をもって有効利用していることがうかがえる。
【福島県】七日町通り「渋川問屋」(会津若松市)201910
只見線七日町駅のはす向かいに残る「渋川問屋」はもともと海産物問屋で、明治期の土蔵と大正期の木造店舗が残る。
現在は旅館として利用されている。
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