【福島県】大内宿(南郷町大内)
大内宿は会津若松と日光をつなぐ会津西街道の宿場町で、当初は会津藩の参勤交代が寄宿し、本陣と脇本陣も置かれていた。
しかし、白河街道がメインのルートとなると宿場町として衰退し、純粋な宿場町というよりは半宿半農の状態になる。
明治以降の鉄道開通で宿駅としての役目を終えるが、幹線から外れたことが幸いし往時の街並みがそのまま残り、昭和56年に重伝建指定。
両側に茅葺き・寄棟造りの主屋が妻面を街道に向け、ほぼ等間隔で規則的に建ち並んでいる。
写真は、街道突き当りの高台にある子安観音からの眺望。
【福島県】大内宿(南郷町大内)201910
茅葺き屋根・寄棟造の主屋が妻面を街道に向け、一定間隔をもって規則的に建ち並ぶ。
【福島県】大内宿(南郷町大内)201910
街道の両側に割石積みの水路が通っているが、元々は街道の中央に流れていたのを明治19年に埋め立て、街道の両端に付け替えられたもの。
今なお豊富な水量を保ちながら流れていて、所々に洗場が設けられている。
【福島県】大内宿(南郷町大内)201910
南会津の山地の中にあって、福島県を代表する観光地になっている。
重伝建指定を受け、大内宿の住民は古民家を民宿や土産屋さんに転用して、観光客を誘致しながら街並みを残す道を選び、現在に至っている。
2009年度の年間訪問客数が約116万人とピークを迎え、東日本大震災のあおりで一時は半減するも、現在は年間80万人前後に推移している。
【福島県】大内宿「大内宿街並み展示館」(南郷町大内)201910
かつての本陣を復元させ、内部公開している。
茅葺き屋根の屋根組
【福島県】大内宿(南郷町大内)201910
大内宿の代表的な食が「葱そば」と呼ばれるもので、薬味である長葱を箸替わりにそばを食する。
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