【岐阜県】高山(高山市)
古い街並みを残す高山は全国的にも有名で、近年は平日でも日中は外国人観光客が絶えない。
周囲を3000m級の山岳に囲まれた飛騨地方は全体の9割が山林で占められ、古来より高度な木工技術が発達していた。
その中心都市である高山は、戦国時代に金森氏が入り城下町となるが、江戸時代に入ると天領となり、城郭が破却され替わりに陣屋が構えられ、それ以降、商業が発展する。
南北に細長い町人地には南北3本の通りが設けられ、東西方向の安川通りを境に南側の上一之町・上二之町・上三之町を「三町」と称する。
「三町」では狭い道の両側に軒の低い洗練された意匠の町屋が隙間なく連なる。
一方、安川通りの北側である「下二之町」「大新町」は旧城下町で、越中街道が通る。
高山は何度も大火に見舞われており、現在の「三町」の街並みは天保3年、「下二之町大新町」も明治8年の大火以降に再建されたものである。
昭和54年に「三町」が、平成16年には「下二之町大新町」にも重伝建指定を受ける。
【岐阜県】高山「上三之町」(高山市)201806
「三町」のうち、特に「上三之町」の充実度は高く、日中は観光客であふれかえるので、早朝の閑散とした時間帯に撮影。
狭い通りの両側に水路が通り、街並みに風情をもたらせている。
二階の屋根の高さはまちまちながら、一階の軒線はほぼ一直線に揃っていて、これぞ町並みと感じさせる。
いち早く重伝建指定を受けただけあって綺麗に整備されている
1階正面に格子が取り付けられている町家が両側に並ぶ
ここでも屋根神様を祀っている町家を目にする
軒下に大きい杉玉を下げている酒造家が向かい合っている
土産店やカフェなども入るため日中は混雑する街だが、早朝は人通りがないので歩きやすい
【岐阜県】高山「高山市政記念館」(高山市)201806
明治28年築の旧「高山町役場」で、昭和43年まで一貫して役場として使用された(昭和11年に市制施行)。
早朝だったこともあって中に入ることができなかったが、総檜で硝子も竣工当時初めて導入され、硝子障子と呼ばれたという。
【岐阜県】高山「上二ノ町」(高山市)201806
突き当り正面に見えるのが高山市市政記念館で、この通りを中心に「上二ノ町」が伸びている。
「上三之町」ほど濃密とまではいかないが、古い街並みがやはり残る。
【岐阜県】高山陣屋(高山市)201806
元禄5年にそれまで治めていた金森氏が転封し、飛騨一国は幕府天領となった。
それに伴い旧高山城は破却され、替わって代官所・郡代役所として設けられたのが高山陣屋である。
現存している郡代役所はここ高山以外に例がない。
【岐阜県】高山「大新町」(高山市)201806
「三町」と呼ばれる上町一帯は観光客がひっきりなく集まる地域だが、「下二之町」や「大新町」はあまり観光客に媚びた感じがなく、落ち着いた佇まいを見せる。
日下部家住宅(左手前)や吉島家住宅(同奥)という二軒の重厚な商家が並び、いずれも国重文に指定されている。
早朝だったので外観のみだが、いずれも内部公開されているそうで、飛騨の匠を見ることができるという。
江戸時代は両替商だった日下部家住宅(明治12年築)国重文
造り酒屋の吉島家住宅(明治40年築)国重文
【岐阜県】高山「宮地家住宅」(高山市)201806
下二之町大新町を貫く越中街道は城下町時代は参勤交代のルートだったが、天領になってからは旅人や物資の通り道となり、特に日本海側からの海産物や塩が運ばれてきた。
街道沿いの宮地家は米屋や酒屋を経営してきた商家で、明治8年の大火後にすぐ建てられた。
【岐阜県】高山本町「天狗総本店」(高山市)201806
高山の古い街並みは宮川の東側に広がるが、一方で西側の本町は近代的な建築が多く、戦災に見舞われていないこともあって戦前の洋風建築も多く残る。
筏橋西にある「天狗屋本店」は昭和2年創業の精肉店で、現在の店舗は同11年築の登録有形文化財。
ギリシャ洋式の装飾に天狗のレリーフが目立つ一軒だ。
高山駅通りを東に進むと戦前のモダンな店舗が残る
天狗総本店から筏橋を渡ってすぐに建つ喫茶「バグパイプ」は『氷菓』にも登場する
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