【東京都】明石町(中央区)
隅田川西岸、築地の北側に隣接する明石町は、江戸時代に江戸湊ともに鉄砲洲の一角をなし、武家地と町人地が混在していた。
武家地には赤穂事件で知られる赤穂浅野家屋敷もあった。
明治2年に外国人居留地に指定され、築地ホテル(関東大震災で倒壊)を初め、慶應義塾や立教学院、明治学院といった私学発祥の地でもあり、明石町は文明開化の中心を担った。
東京大空襲で明石町~築地一帯は焼失を免れたが、背景には聖路加病院の存在があったといわれる。
現在もその聖路加病院や築地キリスト教会といった外国人居留地の名残を残した建物が残っている。
【東京都】明石町「聖路加国際病院旧館」(中央区)201801
聖路加病院は日本聖公会によって明治34年に設立された。
関東大震災で倒壊後に再建されたのが昭和8年で、A.レーモンドをはじめとする複数の設計者によって竣工された。
円形や尖塔型の窓を供える窓の内側はステンドグラス装飾が見られ、アールデコ風の鐘楼は遠くからでもはっきりと見える。
湊~明石町~築地一帯が戦災から免れたのは、B29パイロットがこの建物を教会と誤解したためとも言われている。
病棟は新棟にすべて移されており、現在は礼拝堂が入っている。
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