【奈良県】八木町(橿原市)
八木町の中心「札の辻」
橿原市の古い街並みというと重伝建地区に指定されている「今井町」だが、近鉄八木駅に近い北八木町・八木町・南八木町をまたぐエリア、通称「八木町」も引けを取らない。
古代、政治の中心地だった奈良盆地には多くの幹線道路が整備されていたが、中でも都から大陸への玄関港である摂津を結ぶ「横大路」と、藤原京から北へ向かう「下ツ道」が交差する「八木町」は交通の要衝として早くから市場が形成されていた。
江戸時代になると、「横大路」は摂津と伊勢を結ぶ「伊勢街道」「初瀬街道」として、一方の「下ツ道」も吉野と奈良、京都へと延びる「中街道」としてお伊勢参りや大峯山への参詣巡礼などで賑わい、2つの街道が交差する札の辻を中心に宿駅としても繁栄した。
現在も2つの街道沿いを中心に伝統的な町家が約300軒まとまりながら残っていると言われ、そのほとんどは現役として大事に居住しながら使われている。
「今井町」が重伝建指定を受けている一方で、「八木町」はその指定を受けていないが、観光客向けに整備されていない自然体の町並みとして質量ともにレベルは高い。
最寄り駅は近鉄八木駅で、京都や大阪への通勤通学者のベッドタウンとして駅周辺は近代的な商業施設が並ぶが、その至近にありながら保存対象に含まれていない「八木町」の古い街並みが濃密に残っているのは奇跡に近い。
【奈良県】八木町「札の辻」(橿原市)202005
「横大路」と「下ツ道」が交差するのが「札の辻」で、「札」の文字があるように高札場があった場所だ。
その交差点に「下ツ道」を挟んで2つの古い建物が向き合いながら並んでいる。
右側の「平田家」は18~19世紀ごろに建てられた旧旅籠、左側も「西の平田家」も同様に旅籠だった。
「平田家」は現在「八木札の辻交流館」として一般公開されている。
平田家住宅(上)と西の平田家(下)
【奈良県】八木町「横大路」(橿原市)202005
八木町を東西に縦断する「横大路」は、江戸時代に「伊勢街道」「初瀬街道」と呼ばれ、長谷寺や伊勢神宮への参拝路として賑わいを見せた。
写真は「札の辻」から東に入った辺りで、「伊勢街道」にあたるのだが、平入利の町家や土蔵が並ぶ重厚な街並みを見せている。
【奈良県】八木町「下ツ道」(橿原市)202005
八木町を南北に縦断する「下ツ道」は藤原京から平城京を経て平安京へ通じる街道で、新旧の都を繋ぐ幹線道として重宝された。
同時に、吉野の大峯山への参詣道も兼ねていたので、往来で賑わいを見せていた。
正面に近鉄橿原線の踏切が見え、ちょうど警報音が鳴り響いたので、近鉄特急が通過していたタイミングを見計らってシャッターを押した。
【奈良県】八木町「谷三山生家附近」(橿原市)202005
橿原市の観光案内でいただいた「今井町・八木町」のパンフレットの冒頭写真に紹介されているのがこちらの路地。
札の辻から下ツ道を南に歩くとこの路地を目にする。
普通ならどこかに新しい建物が混じるものだが、こちらの路地にはそれがなく、隅々まで古い建物ばかりが伸びていて、濃密な街並みを醸している。
写真左の建物だが、パンフには「谷三山生家」と紹介されていて、幼いころに聴力を失いながらも私塾を開き多くの門下生を輩出した幕末の儒学者の生家だといい、あの吉田松陰も来訪したらしい。
下ツ道「谷三山生家」付近
【奈良県】八木町「下ツ道小房町」(橿原市)202005
下ツ道を南下するとJR桜井線の踏切に差し掛かるが、それを超えた先の「小房町」にも出格子や袖壁、虫籠窓などを持った平入町家が多く残る。
この先さらに南に行くと、通称”小房観音”こと高野山真言宗別格本山観音寺があり、その参詣道も兼ねている。
ちょうど電車が通過しようとするJR桜井線踏切から小房町を望む
【奈良県】八木町「おふさ観音」(橿原市)202005
「下ツ道」を南に下がったところにある「おふさ観音」こと高野山真言宗別格本山観音寺。
「おふさ」とは土地の娘の名前で、この地に観音様を祀ったのが起源だそうだ。
境内には約3800種類の薔薇の苗が広がり、シーズンになるとその花で彩られる。
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