【埼玉県】川越(川越市)
埼玉県南西部に位置する川越の歴史は、長録元年(1457)に太田道灌が川越城を築城したことから始まる。
徳川家康が江戸に入府後は譜代大名が代々入り、江戸城北の守りとして重要視されたことが分かる。
寛永15年(1638)に大火に見舞われると、城主となった”知恵伊豆”こと松平信綱が城郭の拡張とともに商業地・武家地・寺社町の区分けなど現在も残る街割りを実施した。
川越街道の陸運と新河岸川の舟運により江戸と結ばれた川越は物資の集積地として繁栄し、県下きっての商都に成長する。
現在残る蔵造りが並ぶ街並みは、明治26年(1893)の大火で市街地の3分の1が焼失したことが契機で、江戸で培われた防火建築としての蔵造りが導入されたことによるものである。
川越が「小江戸」と呼ばれる所以であるが、江戸時代でなく明治時代に造られた町並みだった点は興味深い。
東京のベッドタウンとして駅周辺が近代的な商業都市として発展する一方で、蔵造りの街並みがそのまま残った旧市街地は町ぐるみの街並み保存の取り組みによって整備され、平成11年に重伝建指定を受け、現在は東京至近を代表する観光地として賑わう。
休日に観光客が集まる川越だが、それだけの価値を持つ家並であるのは間違いないところだ。
【埼玉県】川越「時の鐘通り」(川越市)201805
町のシンボルとなっている「時の鐘」は寛永年間に当時の城主だった酒井忠勝によって創建されたものである。
現在残っているのは明治の大火で焼失後に再建されたもので、今も1日に4回鐘を鳴らし続けている。
【埼玉県】川越「蔵の街一番街」(川越市)201805
仲町から札の辻までの間が蔵造りが並ぶ通りで「一番街」と呼ばれている。
間口部には観音開きの土度を用い、建物全体を厚い土壁で覆うことで延焼をごうとする。
因みに、二階の扉は通常開けっ放しで、閉めるのは火事に遭った時だけという。
【埼玉県】川越「旧八十五銀行」(川越市)201805
蔵造りの町並みに混じって洋風建築が所々に建つが、こちらの「旧八十五銀行」は緑青のドームがひと際目立つ一軒。
大正7年(1918)に保岡勝也の設計による鉄骨鉄筋コンクリート造りで白亜タイル張りの建物で、現在も「りそな銀行」として現役で利用されている。
保岡は辰野金吾に師事し、川越には他に「旧山崎家別邸」「山吉」等を手掛けている。
旧八十五銀行と蔵の町並み
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