【群馬県】桐生(桐生市)


桐生新町の町並み(左手前「森合資会社店蔵・事務所」大正3年築)201904

群馬県両毛地区は古くから機業町が多く、特に桐生は「東の桐生、西の西陣」と例えられるほど東日本を代表する絹織物の産地であった。

徳川家康の江戸入府により町立てが行われ、桐生天満宮から南に伸びる幅1間半(約10メートル)の本町通りを中心に東西90間の区画を範囲として「桐生新町」と呼ばれる市街地が形成された。

本町通りには間口6~7間、奥行き40間と短冊状の地割がされ、その敷地内には江戸時代後期から戦前にかけて建てられた店舗や蔵、のこぎり屋根の工場などが入っている。

この「桐生新町」が平成24年に重伝建地区指定を受けているが、周辺にも近代建築が多く残り、広いエリアにかけて見所は多い。


【群馬県】桐生「群馬大学工学部同窓記念会館」(桐生市)201904

重伝建地区から少し外れるが、天満宮の北にある群馬大学工学部のキャンパス内に桐生の近代機業を支えた建物が残っている。

大正4年に竣工された「桐生高等染織学校」の校舎で、後に「桐生高等工業学校」を経て戦後に「群馬大学工学部」に再編されている。

現在は同窓会館として利用され、内部見学もできる。

イギリス建築のチェダー様式で、中に入ると吹き抜けのホールを通じて講堂につながるという、明治以降の伝統的な「直轄学校方式」になっている。

煉瓦造りの正門と脇の守衛所とセットで登録有形文化財指定を受けている。

外観と講堂内部 201904


【群馬県】桐生新町「平田家住宅」(桐生市)201904

桐生は明治31年に大火に見舞われ、市街地の大半が焼失しているので、「本町通り」に多く残されている店蔵や土蔵の多くはそれ以降に建てられたものである。

この平田家住宅もその一つで、店蔵や土蔵ともに防火対策のために重厚な観音扉の窓を持っている。

上毛地区は冬にからっ風(赤城おろし)と呼ばれる乾燥した北風が吹くため、火災で延焼を防ぐため店蔵北側の壁にも白漆喰が施されているのが見える。


【群馬県】桐生新町「旧曽我織物工場」(桐生市)201904

絹織物の一大産地であった桐生には、現在ものこぎり屋根の工場が多く現存している。

こちらの「旧曽我織物工場」(大正11年築)もその一つだが、外壁が大谷石でできているのが特徴だ。

「本町通り」の西側裏手の通りに面して5連ののこぎり屋根が並ぶ壮観な外観を見せている。

「本町通り」側にある創業者の住宅「曽我家住宅」ともども有形登録文化財指定である。

曽我家住宅(明治後期築)201904


【群馬県】桐生新町「旧金谷レース」(桐生市)201904

「本町通り」から東に外れた場所に、スクラッチタイル貼りのモダンな建物がある。

こちらは「金芳織物工場」の事務所で、水平線を強調するあたり、F.Lライトの影響を受けている感がある。

隣接している煉瓦造りののこぎり屋根の建物がその工場で、現在はベーカリーとカフェとして利用されている。


【群馬県】桐生新町「有鄰館」(桐生市)201904

桐生天満宮から「本町通り」を南下すると桐生駅前に入るが、その手前に大きな「キリンビール」の扁額を掲げた店舗と白漆喰の土蔵、さらに煉瓦造りの蔵が並ぶ箇所がある。

桐生を語る際にこの光景を撮った写真が登場することが多いが、酒・醤油・味噌を醸造していた「矢野商店」で、短冊状の敷地内に江戸から昭和にかけて建てられた蔵が11も残っている。

現在は「有鄰館」として多目的に利用されている。


【群馬県】桐生「西桐生駅」(桐生市)201903

桐生市内にはJR両毛線や東武、両毛鉄道、わたらせ渓谷鉄道と4つの鉄道が乗り入れられているが、すべてが1つの場所で乗り入れられる駅が存在しておらず、複雑である。

前橋から乗り入れられている両毛鉄道の終着駅が西桐生駅で、マンサート屋根を持つ駅舎は昭和3年開業当時のものだ。

周辺に学校が多いこともあって、ちょうど下校時間帯で駅を出入りする学生が多い。


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★KENTAの写真創庫★

東京や近郊(ごくまれに遠方)を中心に、 散歩がてらデジカメ📷で下手糞な写真を撮り続けています。 人様にお見せするというよりは、忘備録的なアルバムとなっています。 【主な対象物】 古い街並み、遊里跡(遊廓・赤線・カフェー街・花街)、レトロ建築、その他心象風景