【兵庫県】篠山(丹波篠山市)
河原町の町並み
丹波地方の中核都市である篠山は、古くから京都や山陰、山陽を結ぶ交通の要衝であった。
慶長14年に徳川家康の譜代だった松平康重が西の守りとして築城、後に青山氏が入り版籍奉還まで治めた。
城下町は、城の周辺に武家地、山陰道沿いに町人地という配置だった。
旧武家地で往時の佇まいを色濃くとどめているのが御徒士町通りで、茅葺きの主屋や門構えが並ぶ。
一方、町人地だった河原町では、東西700メートル沿いに切妻造妻入りの商家と土蔵がひしめき合いながら並ぶ。
平成16年に重伝建指定を受けている。
※令和元年5月に「篠山市」から「丹波篠山市」と変更。
【兵庫県】篠山「御徒士町通り」(丹波篠山市)201811
篠山城の西側を南北に貫く御徒士町通りには、茅葺き屋根の主屋と門を持った武家屋敷が今も整然と並び、現在も住居として利用されている。
そのほとんどが下級武士の屋敷で、通りに面して土塀を設け、棟門などを開く。
【兵庫県】篠山西新町「安間家」(丹波篠山市)201811
御徒士町通りで唯一内部を一般公開している武家屋敷。
安間家は高12石3人扶持の下級武士で、主屋は茅葺き・平入・曲家形式。
建造は天保元年以降といわれている。
【兵庫県】篠山西新町「小林家長屋門」(丹波篠山市)201811
西外堀沿いの「小林家」は青山家に仕える上級武士で、「長屋門」は文化年間に藩主が老女の長年の功労を報いるために修築したものだという。
茅葺き入母屋造で曲家を付けた住居兼用である。
【兵庫県】篠山河原町(丹波篠山市)201811
篠山川に並行して通る山陰街道沿いが「河原町」の商家群で、篠山観光の目玉の一つになっている。
そして何よりも、現役の商店街としての顔も持っている。
街道は微妙に緩やかなカーブを描いており、街並みの変化がみられる。
1階の格子率が高いのも河原町の特徴、京町家の影響が色濃い。
【兵庫県】篠山河原町「西坂家」(丹波篠山市)201811
入母屋造妻入りの商家「西坂家」は、「綿屋」の屋号で木綿栽培や醤油醸造を営んでいた。
間口は9間と、河原町では最も広い部類である。
【兵庫県】篠山河原町「川端家住宅」(丹波篠山市)201811
河原町の商家は切妻造妻入りが主流だが、こちらの川端家住宅は珍しい平入。
【兵庫県】篠山河原町(丹波篠山市)201811
河原町の商家町は街道に沿って短冊形の敷地を並べる。
街道から外れたところから見ると、確かにその奥行きを感じる。
商家は通りに主屋を建て、中庭を挟んでその奥に離座敷や土蔵を建てる。
【兵庫県】篠山河原町(丹波篠山市)201811
間口こそ狭いが、両側がド派手な卯建の一軒。
関西では見せるためなのかこうした派手な卯建を多く目にする。
時期的には近代以降と思われるが、ググってみれば旅館だったという。
【兵庫県】篠山河原町(丹波篠山市)201811
河原町の東端になると、白壁よりも色あせた感じの壁の商家が多く目立つ。
左側に折れた先に京口橋が架かっており、京都側からの街道の入口となっている。
【兵庫県】篠山「大正ロマン館」(丹波篠山市)201811
明治以降の篠山は、丹波地方の中心都市として郡役所や裁判所など近代的な官庁や学校などが旧武家地に建つようになる。
現在は「大正ロマン館」という複合施設になっているこの建物、大正12年に篠山町役場として建てられたものである。
御徒士町通りや河原町通りなど伝統的な街並みとは対照的な洋風の木造建築である。
【兵庫県】篠山「篠山小学校」(丹波篠山市)201811
篠山城址の東側に洋風のレトロな門構え、その向こうには木造の校舎が見える。
明治43年に篠山尋常小学校として建てられ、現役校舎として使われている。
広大な敷地内には木造校舎が幾重も並んでいるそうで、篠山城天守台から確認できるらしい。
篠山城址の堀越しに校舎群を臨む
河原町から京口橋を渡ると、篠山市街地から外れた先に池上町があるが、そこはかつて陸軍歩兵70連隊が置かれ、その慰安施設のための遊廓が設けられていた。
『全国遊郭案内』には「貸座敷2軒娼妓約110名」と書かれているが、最近まで阿部定が在籍した「大正楼」とされている妓楼が残っていた。
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