【名古屋市】那古野(西区那古野)


名古屋駅を出ると眼前に並ぶ超高層ビルに圧倒されるが、徒歩10分ほどすると「四間道(しけみち)」と呼ばれる古い街並みに出くわす。

四間道がある那古野(なごの)町は戦国時代に那古野(なごや)城を擁した城下町で、織田信長が出生したのはこの城だった。

那古野城は廃城となったが、その跡地に新たに築かれたのが名古屋城で、那古野は名古屋という地名の起源ともいえる。

江戸時代に入ると名古屋築城と共に清州から商人が移住し(清州越し)、那古野は城下町として形成される。

元禄13年の大火で1600軒余りが焼失されたのを契機に、防火対策で五条橋から中橋にかけての通りを4間(約7メートル)に拡幅したのが「四間道」の始まりで、通り沿いの土蔵群はやはり防火の一環として大火後に建てられ、そのほとんどが塗籠構造になっている。

堀川を背に連続した土蔵群、その向かいに商家や町家が並び、路地や子守地蔵尊、屋根神など生活感を残した顔を見せる。

名古屋は終戦間際に多くの市街地が空襲に逢い、当時国宝指定だった名古屋城も含めて多くが焼失するが、那古野一帯はかろうじて被害が微少で済んだようで、名駅に近いにもかかわらず現在も木造町家が多く残る。

特に「四間道」周辺は名古屋市町並み保存地区に指定されている。


【名古屋市】四間道(西区那古野)202001

四間道の街並みは、堀川側に土蔵、その向かい側が木造平入の町家が並ぶ構図になっている。

そして、土蔵の正面は四間道ではなく反対側の堀川に向いている。

これは堀川の水運を利用して物資を出入りしやすくしているためでもある。

白壁の土蔵が続く並み

屋根神様を戴く細目格子の平入町家。


【名古屋市】四間道(西区那古野町)202001 

四間道から少し横道に入ったところに、屋根の上に祠を乗せた町家が見える。 

この祠は「屋根神様」と呼ばれるもので、愛知県や岐阜県で多く見られる。 

火伏の秋葉神社や厄除けの津島神社、伊勢神宮や氏神(名古屋では特に熱田神宮)を祀り、町内の小さい組織で祭祀を行うそうだ。 

この四間道路地にある屋根神様はとくに立派な屋根を持っていて、奥にある子守地蔵尊との組み合わせは絵になりそうだ。

屋根神様の下に「秋葉神社」「熱田神宮」「津嶋神社」と書かれた提灯が下がっている

子守地蔵尊(突き当り奥)とその参道沿いの町並み


【名古屋市】四間道(西区那古野)202001

【名古屋市】四間道「五条橋」(西区那古野)202001

堀川に架かるコンクリート橋「五条橋」は、名古屋築城と共にかけられたのが始まりで、現在の橋は昭和13年に改築されたもの。

鉄筋コンクリート造りで木橋の形を踏襲している。

擬宝珠はもともと清州の五条川に架けられたのを慶長7年に移築したもの。


【名古屋市】円頓寺本町(西区那古野)202001

四間道から名駅に向かう通りは円頓寺の門前町として江戸時代から栄えてきたが、明治に入り周辺に工場ができるとその通勤客で賑わい、商店街化する。

そのため、公式でも「名古屋でもっとも古い商店街の一つ」と紹介されている。

旧河川「江川」(現在は暗渠となり市道江川線)を境に「円頓寺商店街」「円頓寺本町」2つのアーケードに分かれているが、いずれも戦前~戦後からの店舗が軒を連ね、その歴史の長さを顕わにしている。

古い銘酒の看板が3枚並ぶ―円頓寺商店街

何かのレリーフが見える看板建築-円頓寺商店街


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郷愁の風景

(旧★KENTAの写真創庫★) 東京や近郊(ごくまれに遠方)を中心に、 散歩がてらデジカメ📷で下手糞な写真を撮り続けています。 人様にお見せするというよりは、忘備録的なアルバムとなっています。 【主な対象物】 古い民家や街並み 遊里跡(遊廓・赤線・カフェー街・花街) レトロ建築 その他心象風景