【茨城県】真壁(桜川市)


筑波山西麓に位置する真壁は、平安末期から戦国時代にかけて真壁氏の本拠だった真壁城址を擁する城下町だった。

江戸時代に入り笠間藩領となると陣屋が置かれ、周辺地域の農産物が集散する在郷町として発展した。

明治以降は製糸業などに加えて、付近の真壁石を原料とした石材業も新たに興り、出桁造りの二階建て邸宅や洋風建築も現れる。

現在の街並みは城下町時代の街割りを基本にしながら天保8年の大火以降にできたもので、以前の茅葺き屋根から瓦葺きに加え見世蔵や土蔵が次々と建ち並び、約17.6ha内の重伝建地区を中心に100余件もの歴史的建築物が国登録有形文化財指定を受けている。

※重伝建指定は平成22年。


【茨城県】真壁御陣屋町通り「潮田家」(桜川市)202002 

下宿と御陣屋前通りが交わる角にある「潮田家」は真壁にある登録有形文化財指定の第1号で、インパクトがある見世蔵(明治43年)と袖蔵(同45年)が並ぶ。

現在はたばこ店が入るが、元々は呉服太物商を営んでいた。

建物脇に「道路元標」が残っていて、この「潮田家」の前が真壁における基点だった。

「潮田家」の前に残る真壁町道路元標


【茨城県】真壁御陣屋町通り「旧真壁郵便局」(桜川市)202002 

真壁の重伝建エリアの中心部、御陣屋前通りと高上町通利が交わる角にひときわ目立つ洋風建築「旧真壁郵便局」がある。 

云わばランドマーク的存在で、現在はインフォメーションセンターとして利用されている。 

昭和2年に第五銀行真壁支店として建てられ、郵便局としては昭和31年から同61年まで利用されてきた。


【茨城県】真壁御陣屋町通り「旅籠ふるかわ」「木村家住宅」(桜川市)202002

真壁のメインストリートに当たる御陣屋前通りには平入・出桁造りの町屋が多く並ぶ。

写真の2軒はいずれも国登録有形文化財の指定を受けていないものの、連続して並ぶという点では貴重。

一階部分が大きく解放されている店舗型で、広く公開されているのも少なくない。


【茨城県】真壁上宿通り「村井醸造」(桜川市)202002

真壁は酒造業も盛んだが、「村井醸造」は江戸時代にこの地に進出してきた近江商人が興した。

向かいにある石蔵は大谷石で、キングポストトラスの小屋組。

向かいにある「村井醸造」石蔵


【茨城県】真壁下宿通り「伊勢屋旅館」(桜川市)202002 

下宿通りに面している「伊勢屋旅館」は、明治期に料亭「勢州楼」として建てられ、町内でも名が知られた存在だったという。 

物資の集散地として繁栄しただけあって、お大尽の遊興の場として賑わっていたのだろうと想像できる。


【茨城県】真壁上宿通り「猪瀬家薬医門」(桜川市)202002

在郷町にあって、武家屋敷の特徴でもある薬医門を構える商家が多いのは珍しい。 

真壁の商家は富の大きさを蔵以外にこうした門構えで示していたのだろう。 

中でも上宿通りにある「猪瀬家住宅」の薬医門は間口3mで、重伝建エリアでは最大。


【茨城県】真壁高上町通り「三輪家」(桜川市)202002

大正初期に建てられた「三輪家」。

1階の軒は木部を出すが、2階は出桁造りに軒蛇腹、箱棟と影盛と、江戸東京の見世蔵を踏襲したものである。

【茨城県】真壁高上町通り「星野家」(桜川市)202002

江戸東京風の見世蔵を持つ「三輪家」に対し、向かいの「星野家」は少し低い2階をつけた真壁造の店舗である。

ショーウィンドウには当時乾物屋だった「モロカワヤ(諸川屋)」と屋号が書かれている。


【茨城県】真壁新宿通り(桜川市)202002

重伝建地区の範囲から外れるが、新宿通りには武家屋敷の特徴である薬医門や長屋門が多く残る。

江戸時代では武家にのみ許された門構えだが、その多くが明治期以降の造られたもの。

富を主張するために構えたものだろうか、流行として明治期に多くの町屋で造られている。


【茨城県】真壁桜井地区「谷口家」(桜川市)202002

新宿通りから更に北に外れた桜井地区にも小規模ながら古い街並みが集まっている箇所がある。

通りの両側はいずれも「谷口家」のもので、真壁の近代化を支えた谷口製糸所を営んでいた。

店蔵と両脇の袖蔵が並び、向かいにある石蔵は大谷石で造られている。

谷口家店舗と両側の袖蔵


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郷愁の風景

(旧★KENTAの写真創庫★) 東京や近郊(ごくまれに遠方)を中心に、 散歩がてらデジカメ📷で下手糞な写真を撮り続けています。 人様にお見せするというよりは、忘備録的なアルバムとなっています。 【主な対象物】 古い民家や街並み 遊里跡(遊廓・赤線・カフェー街・花街) レトロ建築 その他心象風景