【愛媛県】八日町護国(内子町)


愛媛県南予地方にある内子町は、中世に願成寺や高昌寺の門前町として開かれ、古くから四国遍路や金比羅参詣などの交通の要所として栄えた。

やがて六日市や八日市と呼ばれた市場町ができ、江戸時代から明治時代にかけて和紙や木蝋の生産で繁栄する。

特に木蝋は芳我弥三右衛門による伊予晒法と呼ばれる製法の考案により品質が向上したことで全国に知れ渡り、内子の主要産業となる。

製蝋業で富を潤うようになり、外壁が白または黄色味を帯びた大規模な塗屋造の商家が林立する街並みが八日市、護国の街道沿い約600mにわたり形成されていく。

県道が整備されて旧街道が幹線から外れ、鉄道が旧市街から離れた場所に開通したことで、却って歴史的な街並みが消えずに残り、昭和57年に八日町護国界隈が重伝建指定を受けている。


【愛媛県】八日市護国「本芳我邸」(内子町)201501

木蝋の生産で財を成した本芳我家の主屋は明治17年築(重文)で、出格子やそれを支える持ち送りなど凝った意匠を持つが、それ以上に屋根の妻につけられた「懸魚」と呼ばれる装飾が目立つ。

見事な海鼠壁や鏝絵が施された土蔵


【愛媛県】八日市護国「大村家住宅」(内子町)201501

本芳我邸の並びにある大村家住宅は寛政年間のもので、内子でもっとも古い町家である(重文)。

内子で木蝋生産が本格化する以前の商家で、明治期には藍染も行っていた。


【愛媛県】八日市護国「上芳我邸」(内子町)201501

国内最大規模の精蝋業者、本芳我家の筆頭分家だった上芳我家の主屋は明治27年築(重文)。

現在は木蝋資料館として内部も見学できる。

広い晒場から望む「上芳我邸」側面。黄色の漆喰塗と海鼠壁の妻面はよく登場する。


【愛媛県】八日市護国(内子町)201501

ちょうど枡形に広がっている場所があり、白や黄色の漆喰塗大壁の町屋が四方に並んでいる。


【愛媛県】八日市護国(内子町)201501

街道沿いの古い街並みは600m程カーブしながら緩やかな坂道をなしている。

町並みの奥の坂上から望むと、両側に景観の連続性を感じることができる。


【愛媛県】六日市「旭館」(内子町)201501

八日市護国の町並みから外れるが、木蝋産業で繁栄した内子には映画館や後述の芝居小屋など娯楽施設も残る。

「旭館」は大正14年に地元有志によって建てられた活動写真館(映画館)で、昭和40年代まで続いたう。


【愛媛県】六日市「下芳我邸」(内子町)201501

重伝建地区の八日市護国から外れ、駅寄りに伸びる六日市は内子のメインストリートで、近代的な商店が並ぶが、その中で本芳我家の分家だった「下芳我邸」が残る。

現在は蕎麦屋として活用されている。


【愛媛県】六日市「内子座」(内子町)201501

大正5年に大正天皇の即位を記念して造られた芝居小屋で、現役で利用されている。

回り舞台や升席、花道、楽屋など伝統的な芝居小屋の意匠も見られる。

内子座内部

桟敷席からの眺望


【愛媛県】六日市「商いと暮らしの博物館」(内子町)201501

江戸~明治時代の商家を活用し、文字通り往時の商売と生活を再現した展示が見られる。

大正時代の薬局の店頭を再現

日常風景を人形を用いてリアルに再現


【愛媛県】六日市「旧内子警察署」「旧化育小学校」(内子町)201501

六日市の街道沿いに2軒の近代建築が並ぶ。

左「旧内子警察署」は昭和11年築で、現在は内子ビジターセンターとして利用されている。

右「旧化育小学校」は明治11年築で、現在は内子児童館として利用されている。


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郷愁の風景

(旧★KENTAの写真創庫★) 東京や近郊(ごくまれに遠方)を中心に、 散歩がてらデジカメ📷で下手糞な写真を撮り続けています。 人様にお見せするというよりは、忘備録的なアルバムとなっています。 【主な対象物】 古い民家や街並み 遊里跡(遊廓・赤線・カフェー街・花街) レトロ建築 その他心象風景