【東京都】渋谷(渋谷区)
新宿・池袋とともに”三大副都心”の一つとされる渋谷だが、発展の契機になったのは大正時代から。
現在の神泉駅近くに鉱泉が湧出し「弘法湯」と呼ばれる共同浴場が設けられると、都心からの遊客が増加し、更に代々木練兵場や駒場練兵場など軍施設が周辺に置かれたこともあって、大正2年に円山町花街が三業地に指定される。
渋谷駅が一大ターミナルを形成する契機が関東大震災で、下町の被災者を中心に渋谷周辺や近郊への移住が増加。
さらに、昭和2年には三業地に隣接する形で「百軒店」と呼ばれる繁華街が開発される。
渋谷駅周辺の再開発で変貌は急激だが、円山町周辺は往時の雰囲気を微かに残している。
【東京都】渋谷道玄坂「渋谷百軒店」(渋谷区)202003
渋谷道玄坂は現在こそラブホテルや風俗店が並ぶ歓楽街のイメージだが、かつては関東大震災後に西武鉄道の堤康次郎によって円山町の三業地に隣接する形で開発された繁華街で、資生堂や精養軒山野楽器などの名店や映画館、カフェーなどが集結し、「百軒店」と呼ばれていた。
その名残として「名曲喫茶ライオン」や「ムルギー」等老舗が今も残っているが、千代田稲荷の向かいには角にアールを持った建物が残っている。
大正15年創業の「名曲喫茶ライオン」。現在の建物は昭和25年に再建されたもの。
【東京都】渋谷円山町「渋谷三業地」202003
渋谷三業地は、現在の円山町一帯に大正2年のできた花街で、『全国花街めぐり』によれば芸妓屋130軒、芸妓400~410名、料理屋約20軒、待合180~190軒という規模だったという。
戦後、待合は連れ込み旅館に転用され、後のラブホテル街に発展するが、現在も往時の名残りを感じさせる料亭が何軒か営業を続けている。
花街時代の名残をとどめる町並み
【東京都】渋谷「のんべい横丁」202003
渋谷一帯は終戦間際の山の手空襲によって被災し、戦後は駅前から道玄坂にかけて大規模な闇市が形成された。
昭和25年の露店整理令により立ち退いた道玄坂沿いの露店業者たちが、山手線沿い渋谷川べりに移転してできたのが、のちの「のんべい横丁」である。
現在も間口幅が狭い40もの店が密集しており、変貌著しい渋谷にあって昭和から変わらぬ佇まいを残す。
夜の「のんべい横丁」を同じ位置から
夜の「のんべい横丁」中通り
【東京都】渋谷「スペイン坂」202003
年中、人出が多いセンター街は宇田川の暗渠跡に形成された繁華街で、丘につながる坂が周囲に張り巡らされている。
その一つがスペイン坂で、パルコから曲がりくねった階段を経てセンター街へ下る。
坂の沿道には白壁の店舗がひしめき合い、地中海の街並みを思わせることから命名されたのだろう。
渋谷センター街 宇田川の暗渠上の繁華街。宇田川の暗渠は角海老の左側へ続く
宇田川暗渠跡 歩道の縁石は護岸跡
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