【東京都】浅草(台東区)
浅草文化センター8階展望テラスからの眺望(201907)
東京を代表する観光地「浅草」は、古くから浅草寺の門前町として繁栄してきた。
明暦の大火後に吉原遊廓が葭町(現・人形町)から現在地に移転、更に天保年間には猿若町に芝居小屋が集められ、浅草寺参拝を兼ねた芝居見物客で賑わい、浅草は江戸随一の盛り場となる。
明治時代に浅草寺境内を中心に浅草公園として整備され、凌雲閣十二階が建ち、浅草公園六区を中心に劇場や映画館が開場するなど、戦前から戦後に至るまで歓楽街として隆盛を極めた。
浅草は関東大震災や東京大空襲と二度の罹災でほとんどの古い街並みを失っており、鉄筋コンクリート造りの仲見世や東武浅草駅など戦前建築はごく僅かで見られるのみである。
【東京都】浅草「雷門」(台東区)201907
浅草寺表参道の入口門である「雷門」は浅草のシンボルであるが、建てられたのは昭和35年で、鉄筋コンクリート造りである。
これは、実業家・松下幸之助が病気平癒祈願に参詣し回復したことへの報恩のための寄進によるもので、門内の大提灯には松下が創業した松下電器(現・パナソニック)の名が入っている(写真下)。
大提灯の下に「松下電器」の名が見られる
【東京都】浅草「仲見世」(台東区)202003
江戸時代から浅草寺の参道に床店を連ねていた仲見世だが、関東大震災で被災し、大正14年に現在の建物に再建した。
鉄骨鉄筋コンクリート造りながら、銅板葺きの寺社様式屋根を構え、門前町の雰囲気を保ち続けている。
店舗の裏側を見ると2階建てであることが分かる。
1階の軒高は一様に低く、外壁はコンクリート張りで、東京大空襲では焼け残った。(202003)
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