【東京都】築地(中央区)
築地本願寺を筆頭に大小の付随した寺院が集まり、長らく門前町として繁栄した。
幕末に海軍操練所が設置されると、明治以降も海軍関係の施設が集まるが、関東大震災で多くが被災、寺院や墓地の多くが郊外に移転する。
昭和10年に日本橋から中央卸売市場が旧海軍用地跡地に移転すると、それに付随した水産物商が寺院・墓地跡地に店を構え場外市場が発生する。
築地は戦災から免れたため、築地本願寺をはじめ戦前の看板建築や出桁造りの町家が多く残っている。
平成30年に中央卸売市場が豊洲に移転され、旧市場施設は解体されるが、場外市場はそのまま健在である。
【東京都】築地「築地場外市場」(中央区) 202004
元々は築地本願寺の境内地で多くの寺院や墓地が集まっていたが、関東大震災で被災したことで多くが郊外へ移転。
大正12年に築地中央卸売市場が完成し、日本橋から魚河岸が移転してきたことを契機に、それに付随した水産物商が境内地跡地に立ち並び、自然発生的にできたのが築地場外市場である。
旧寺町の名残りか、寺院の脇に小さな床店が入っているが、これは寺院の維持のために床下を賃貸して店の造作を許可したためである。
戦災から免れているため、銅板貼りの看板建築も多い。
【東京都】築地「築地場内市場」201212
関東大震災を境に、それまで日本橋に構えていた魚河岸を築地の旧海軍用地に移転させたのが「築地中央卸売市場」。
昭和10年から豊洲に移転される平成30年までの80余年、この地で水産業や青果、花卉などを卸してきた。
場内が円弧を描いているのは、国鉄が場内に貨物列車を敷設してきた名残だ。
建物は豊洲市場開場とともに解体されており、跡地は再開発が入る予定。
円弧上のカーブを描いている築地場内建物
アールを描く正門前の交番。当時はモダニズム建築の萌芽期でもあった。
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