【千葉県】佐原(香取市)


佐原は利根川の舟運の拠点として発達した町で、小野川畔を中心に蔵造りの商家が建ち並び、「川越」(埼玉県)とともに「小江戸」と称される。

徳川家康の江戸入府後、江戸の防衛と河川の氾濫を防ぐ目的で利根川の瀬替えが行われ、その結果として東北諸国から利根川を経て江戸へ物資を運搬する運搬の航路が確立した。

そのなかで利根川支流の小野川筋に「佐原河岸」が形成され、物資の集積地として繁昌する。

一方で、香取神宮や利根川対岸の鹿島神宮への参詣路として香取街道も古くから整備され、中近世には日用品を扱う市場が出現したとされる。

古い街並みは、小野川筋と香取街道筋がクロスする形で残っており、蔵造りの商家と共に近代的な看板建築が混在している。

佐原の市街地は明治25年の大火で多くを焼失しており、現在残っている古い街並みの多くは明治~戦前期にできたものである。

明治31年に成田~佐原間の成田鉄道が開通し、利根川水運は衰退するが、依然として北総の商都として繁栄を見せていたことが伺える。

平成8年に重伝建指定。


【千葉県】佐原「忠敬橋」付近(香取市)202006

小野川畔と香取街道が交差する場所が「忠敬橋」で、佐原旧市街の中心地点に当たる。

橋の名前は地元の偉人である伊能忠敬から採ったものだが、読み方は「ちゅうけいばし」。

かつてはアーチ形の眼鏡橋で「大橋」と呼ばれていたが、交通量の増大で現在の橋に架け替えられ、昭和45年に現在の呼び名がついた。

南西の角に建つのが「中村屋商店」という安政2年築の荒物屋で、千葉県有形文化財。


【千葉県】佐原「香取街道沿い」(香取市)202006

「忠敬橋」から香取街道に沿った町並みは佐原を代表する場所で、あらゆる場面で紹介されている。

出し桁造りの商家や重厚な店蔵、更にはイオニア式の洋風銀行建築と並び、”北総の商都”を思わせる。

手前の正文堂(明治13年)は屋根付き袖看板が目印、赤ポストの向うにある小堀屋本店(同33年)は天明年間創業の現役蕎麦屋さん。

同じ通りを反対側から撮影

同じ通りを正面から撮影


【千葉県】佐原「香取街道」(香取市)201504

香取街道を忠敬橋から東側。

カーブの正面に見える赤煉瓦の建物が「三菱館」で、川崎銀行佐原支店として大正3年竣工、後に三菱銀行佐原支店として昭和18年から平成元年まで営業を続けた。

利根川水運が明治31年の成田鉄道(現・成田線)開通以降衰退するが、こうした近代建築ができたことは商都として繁栄が続いていた証拠だろう。

手前に見える黒塗りの土蔵造りは「中村屋乾物店」で、佐原大火後の明治25年に建てられた。

同じアングルから撮影 三菱館は改装工事中だった(202006)

佐原大火(明治25年)直後に建てられた「中村屋乾物店」

工事前の「三菱館」(旧「三菱銀行佐原支店」)201504


【千葉県】佐原「正上」(香取市)202005

小野川沿いに建つ「正上」は寛政12年創業の食用油・醤油醸造業で、天保3年築の店蔵と明治期の土蔵が並ぶ。

店すぐ前の川岸にある段差は「だし」と呼ばれ、利根川から小野川を経て物資を集積する際の荷揚げ場として利用されていた。

佐原河岸の景観を代表する場所である。


【千葉県】佐原「旧油惣商店」(香取市)202006

小野川を挟んで「正上」の向かい側に建つ「旧油惣商店」は寛政年間にこの地で創業した酒造業で、明治以降は米や砂糖、下り酒を扱う問屋を営んできた。

小野川沿いには最盛期に酒造業が30軒以上も軒を連ねていたが、現在は香取街道沿いに「東薫酒造」「馬場本店」の2軒を残すのみである。


【千葉県】佐原「清見邸」(香取市)202006

重伝建地区の中心部から少し離れるが、佐原の酒蔵「馬場本店」を突き当りに南に伸びる通りにも古い街並みが見られる。

写真右側の手前にあるのは「清宮邸」で、地元の国学者である清宮秀堅の邸宅だという。

伊能忠敬は全国的に知られているが、どうやら地元では名が知られている偉人のようである。

清宮秀堅邸


【千葉県】佐原「与倉屋大土蔵」(香取市)202006

重伝建地区の中心から離れた場所にのこぎり屋根の土蔵がカーブした通りに沿って建っている。

これは酒造や醤油醸造を営んできた「与倉屋」の大土蔵で、明治22年に建てられた。


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郷愁の風景

(旧★KENTAの写真創庫★) 東京や近郊(ごくまれに遠方)を中心に、 散歩がてらデジカメ📷で下手糞な写真を撮り続けています。 人様にお見せするというよりは、忘備録的なアルバムとなっています。 【主な対象物】 古い民家や街並み 遊里跡(遊廓・赤線・カフェー街・花街) レトロ建築 その他心象風景