【群馬県】六合赤岩(中之条町)
群馬県はかつて日本で1~2位を争う養蚕・製糸業が盛んな県だったが、現在も国内1位の養蚕県で、県内には養蚕農業集落が点在している。
中之条町六合赤岩(旧吾妻郡六合村赤岩)集落も県内を代表する養蚕集落で、平成18年に群馬県で最初の重要伝統的建造物群保存地区指定を受けている(因みに、2番目も機業町だった桐生新町=同24年指定)。
白砂川左岸の河岸段丘上の斜面地に位置し、背後には高間山がそびえる。
斜面上に田畑が広がるが、山村のために農耕生産には限界があり、その副業として行われたのが養蚕だった。
明治時代にすでに養蚕業がはじめられたと思われ、昭和30年代までほとんどの農家で養蚕業が営まれていた。
南北に走る通り沿いには、傾斜地を造成した古い石積みで囲まれ、主屋や蔵、小屋などを構える養蚕農家が集まる。
主屋は居住としてよりもほとんどを養蚕に使うため、切妻総二階出梁造の大規模なものが多い。
国道292号線からの遠景 河岸段丘の斜面上に集落が続く
【群馬県】六合赤岩「湯本家住宅」(中之条町)202008
六合赤岩集落は公儀に追われ逃亡中だった高野長英が潜伏した地でもあり、その隠れ家として残っているのが「湯本家住宅」である。
他の養蚕農家と異なり、切妻屋根の正方形に近い形の妻入・土蔵造りの主屋である。
現在の主屋は、享和3(1803)年の大火で延焼した後、文化3(1806)年に再建されたものであるが、現在の3階建てになったのは明治30(1897)年になってからである。
湯本家は近世では医者、近代においては村長や教育者もつとめた家であった。
文化3年に建てられたものだが、現在の3階建てになったのは明治30年である。
【群馬県】六合赤岩「関駒三郎家住宅」(中之条町)202008
養蚕集落として重伝建指定を受けている六合赤岩で、湯本家と並び、集落の山側に建つ養蚕農家「関駒三郎家」は主屋の間口が10間、奥行き4間半、さらに総三階建てで、集落でも最大の養蚕農家である。
切妻造平入の主屋は幕末から明治初期にかけて建てられたもので、当初は前兜型の二階建てだったという。
二階平面は間仕切りのない一室空間で、そこで昭和30年代まで養蚕が行われていたというから、養蚕業を営む農家は如何にスペースを擁するかが伺える。
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