【石川県】主計町(金沢市)
浅野川を挟んで東廓の斜め対岸に位置するのが「主計町」で、「ひがし茶屋街」とともに重伝建指定を受けている。
「ひがし」「にし」が江戸時代に藩の公認遊廓として成立したのに対し、「主計町」は遊廓として公認された場所ではなかったが、隣接する尾張町の旦那衆が贔屓にした遊里として徐々に繁栄してきた。
「ひがし」と同じように木虫籠と呼ばれる目の細かい格子窓を持った伝統的な茶屋建築が川沿いから奥の路地に密集している。
『全国遊郭案内』によれば、貸座敷が38軒に芸妓90名程いたとされ、明治~昭和初期が全盛期だった。
【石川県】主計町「浅野川大橋付近」(金沢市)201507
浅野川大橋から浅野川越しにお茶屋の屋根が並ぶ「主計町」の風景を望むことができる。
「主計町」の町名は加賀藩士・富田主計の屋敷があった地に由来している。
昭和45年に尾張町の一部に組み込まれて町名が一時消滅したが、平成11年に復活した。
旧町名の復活は、全国的にもこの「主計町」が最初である。
【石川県】主計町「暗がり坂」(金沢市)201507
「主計町」は商業地「尾張町」の旦那衆が贔屓してきた遊里だが、その「尾張町」から出入りする坂道が2か所存在している。
その一つが「暗がり坂」で、日中も陽の当たらない暗い坂ということで「暗闇坂」とも呼ばれる。
坂上に上ると、久保市乙剣宮で、附近には泉鏡花の生家があった(跡地に泉鏡花記念館)。
【石川県】主計町「明かり坂」(金沢市)201507
「暗がり坂」とともに主計町と尾張町を結ぶのが「明かり坂」で、五木寛之が命名した。
坂の入口に建つ標柱には、「暗い夜のなかに明かりをともすような美しい作品を書いた鏡花を偲んで、あかり坂と名づけた。あかり坂は、また、上がり坂の意(こころ)でもある」と五木氏の言葉が刻まれている。
この「明かり坂」を降りると、お茶屋が密集する細路地が折れ曲がるように入っていく。
【石川県】主計町「主計町事務所」(金沢市)201507
「暗がり坂」を降りた先の細路地を進んだ先にあるのが検番にあたる「主計町事務所」。
0コメント