【富山県】山町筋(高岡市)
富山県第2の都市である高岡。
町のはじまりは慶長14年〈1609年〉に加賀藩主前田利長が高岡城を築城、北陸街道の道筋を城下に移して、碁盤目状の町筋を築いた。
高岡城は一国一城令により廃城となったが、後継者の前田利常が町人たちの流失を防ぎ、商業振興策を採ったため、高岡は衰退を免れ、商工業都市として発展する。
その中心となったのが、北陸道沿いの「山町筋」である。
高岡市街地は、明治33年〈1900年〉の大火で市街地の6割がたを焼失したことで、近世の街割りを残しながら道路を増幅し、商家を土蔵造りに造り替えた。
二階建ての平入切妻造で、重厚な卯建や煉瓦造りの防火壁や石柱などを持つ商家も少なくない。
戦災を免れたこともあって当時の町並みを残し、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
【富山県】高岡山町筋「菅野家住宅」(高岡市)201407
国重要文化財指定の菅野家住宅は、大火後間もない明治35年に莫大な経費をかけて再建されたもので、観音扉を備えた黒漆喰塗の重厚な外壁、煉瓦造りの防火壁や石柱など防火への配慮がされている例だ。
【富山県】高岡山町筋「井波屋仏壇店」(高岡市)201407
明治38年築の登録有形文化財「井波屋仏壇店」は現役の店舗で、本体こそ土蔵造りの商家だが、正面を鋳物製の唐草模様の大きな二連アーチという、ユニークな洋風の意匠を併せ持つ。
【富山県】高岡山町筋「富山銀行本店」(高岡市)201407
高岡の商業の中心地となっていた山町筋は、近代に入ってもその位置づけが変わっていない。
それを証拠づけるのが赤煉瓦造りの「富山銀行本店」(大正4年築)である。
設計は田辺淳吉だが、外観から察するように辰野金吾の監修を受けている。
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